エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

それの在り処(2)

前回の話↓

羽音

19匹目の成虫が地上へと這い出てきたその日まで、私は毎夜なかなか眠れずにいた。ベッドに入っても30分、1時間、また30分とただ時間が過ぎて行き、ようやく眠れたような気がしても1時間ほどしか眠れていないといったことが続いた。それは地上へと這い出てきた成虫の羽音のせいだった。廊下に響く羽音のせいで中途覚醒するのだ。

ただ、眠れないのは羽音のせいだけではないこともわかっていた。私は内心、先生からの連絡を待っていたのだ。先生は私のかつての主治医だった。いや、本来であれば先生はおそらく今もまだ私の主治医だっただろう。

先生が待つ診察室に初めて入ったその時、私はがっかりした。自分より若いであろうその医者が、とても頼りなく見えたのだ。無論、その人が私より何十倍、何百倍も勉強をし、社会的に見れば王様と平民はおろか王様と奴隷くらいのステイタスの差があることはわかっていた。しかしそれを踏まえた上でも、この人と心が通じ合うことはないだろうと直感的に思ったのだ。そのため私は1年以上もの間、先生のことはただの薬をくれる人だと思って接していた。診察の回数を重ねるごとに、その後どうですか、という問いに対して答えることすらも少し面倒だと思うようになっていた。

しかし、ある時から私は先生のことをそれまでの薬をくれる人とは少し違う風に捉えるようになった。今思えばそれは何てことのないただの会話であったにも関わらず、私はなぜかその時、先生の中に薬をくれる人とは違う何かを一瞬見た気がしたのだ。そして私は、その一瞬をきっかけにやがて先生に好意を抱くようになった。

元々医師という職業に対して強く憧憬の念を持っていた私は、加速度的に先生のことを考えるようになっていった。そして、本来先生が医師であるという、そのことに非常に意味があるにも関わらず、医師と患者という関係から脱しようとしてしまったのだ。いや、本当はきっと、私は医者と患者という関係から脱したかったのではなかったはずだ。先生は医者のまま、ずっと医者のままでいてほしいと思っていたのだ。一人の人と人という関係を望んでいたのではなく、あくまで先生は医師であることが前提であり、私は医師ではない場合のその人のことなど全く興味はなかったのだ。

それなのに私は冷静さを失い、患者として先生の前に現れることを止めてしまったのだった。そして、ただの形式上ではあるが、患者でなくなった私は、先生と連絡をとるようになった。結果的にはほんの数日間のやりとりではあったが、その時間はとても幸せに思えた。ただ、今となれば私はその時間もあくまで患者だった。先生は私のことをもう患者ではないと言っていたが、間違いなく先生は医者であり、私は患者だった。決して友人なんかじゃない。王様と奴隷の関係のまま、何一つ変わってはいなかった。ただ王様が気まぐれで奴隷との会話を楽しんでいただけに過ぎなかった。私は奴隷であるにも関わらず、ただ王様と会話をしただけなのに、王様に近づけたような気になっていたのだった。

先生と連絡を取るようになってほどなくして、私は先生に家庭があることを知った。それを知った私は、瞬間的に苦しくなったが、先生から離れることにした。先生はこのまま友人の一人としてたまに連絡を取り合えばいいと提案したが、私はそれを拒否した。私にも家庭はあるが、私の場合、その家庭には本来いるはずの夫の姿はない。夫婦関係は完全に破綻しているが、ただ金銭的な問題のために法律上繋がっているというだけで一緒に暮らしてすらいない。さらに言えば、揉めないよう、どちらか、あるいは双方に交際相手ができたとしても、それを不貞とみなさないこととする公正証書まで作成している。そのため、私は自分は自由の身であり、先生が望みさえすればその先の展開があると思い込んでいた。しかしそれはやはりただの奴隷の思い込みに過ぎなかった。そもそも自由になるための足枷すらまだ外れてはいなかった。

形式上患者であることをやめたその時は、現実として私の体調に問題はなくなっていた。いや、問題がなくなっているように見えていた。しかし、先生との連絡を絶ってから半年も経たないうちに、私の体調はまた不安定になりつつあった。結局、それなりの年月を重ねて少しずつ悪化していった体調がその年月よりもずっと短期間で治ることなどなかったのだ。そんな当たり前のことにすら私はあの時気付いていなかった。いや、気付かないふりをしていた。本当はわかっていた。先生が出してくれた薬のおかげで一時的に安定していただけであり、不調の根本的な原因はまだほとんどそのままの形をしている。

とはいえ、私はもう先生の患者ではないと決めていたし、先生との連絡を断った時、先生も今後私が患者として先生の前に現れることを拒んでいた。先生のいない診療日ですら。だから私は先生のいない病院を受診することにし、最初は紹介状すら必要ないと考えていた。しかし初診日が近づくにつれ、これまでのことを上手く話す自信がなくなっていくのを感じた。無論、新たな主治医に先生とのことを話すつもりなど毛頭なかった。自分の体調が悪くなったこれまでの経緯について上手に説明できないと思ったのだ。そのため、私は先生に紹介状を書いてもらうことにした。そのことをお願いするために先生に連絡をした。ただ、そのやり方は完全に間違っていた。私が本来取るべき行動は、先生に連絡をすることではなく病院に連絡をすることだった。私はきっと、いや、間違いなく、病院とではなく先生と連絡を取りたいと思っていたのだ。結局奴隷はまだ自分が奴隷であるということを忘れたままだった。そして王様はまた、そんな身の程知らずの奴隷に微笑みかけた。

(つづく)

よろしければどれか適当に押しといていただけると嬉しいです

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ブログブログへにほんブログ村 ブログブログ 雑記ブログへにほんブログ村 子育てブログへにほんブログ村 家族ブログ 別居へ