エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

涙のわけ

「今、目に少し涙が浮かんでいるようですが、それはどうしてですか?」

そう言われた途端、それまでなんとなく泣くまいとしていた目から涙が次々にこぼれ落ちた。

一昨日のカウンセリングでの出来事である。

不明瞭な追憶

ここには度々書いているが、私は現在定期的に心理士さんのいるカウンセリングルームでカウンセリングを受けている。最初は夫(仮)との問題で通っていたが、今は自分自身が抱える生きづらさのようなものを見つめるために通っている状態だ。

↑にも書いたが、心理士さんとの話で、このことに関してはこの問題が解決(あるいはそのような方向)に向かってからブログに書くことにしたので、今ここにはあまり詳しくは書かないが、私が抱えている心理的な問題は、自分の過去、特に実家にいた子どもの頃の成育環境が大きく影響している。そして今はその過去のことを思い出しながら、その時どんな気持ちだったのか、とはいえ今思い出しての気持ちではあるが、そのようなことを掘り起こしているような状態だ。

今私が固い地面に生えている草だとしたら、その生えている場所の土をスコップでどんどん掘り返して、土の中に何が含まれているか見ているような、そんな感じだろうか。2、30年も前の記憶を掘り起こすわけなので、もちろん不明瞭であるし、思い出すこともピンポイントでしかないので、その掘り起こした記憶がどこまで信用できるものなのかも自分でもわからないが、とにかく掘り起こしてはその時の気持ちを改めて思い出そうとしている。

私は不幸だったのか

私は自分の人生しか歩んでいないし、ひとつの家庭でしか育っていないので、果たして自分の歩んできた道が一般的に見てどうなのかとかもわからない。一般的に見れば両親も兄妹も生きているし、大学も出て一応子どももなんとか育てているし、友達もいるし、別に不幸な方ではないのではないかと思う。これまで楽しいことも嬉しいこともそれなりにあったし、(少し前まではあったが)今は死にたいとは思わない。

ただ、過去のことを思い出そうとすると、楽しい思い出はあまり思い出せなくて、嫌だったこととか、なんとなくモヤモヤしていることとか、そんなことばかりが出てくる。そして、そんなことばかりが出てくると「私は不幸だったのだろうか」という疑問を抱くようになってくる。幸か不幸かなんて誰が決めるものでもなければ基準なんてないと思うのだが、実際に当の本人である私がそのような疑問を抱いてしまうのである。まぁ確かにあるのは現実・事実のみなので幸せだろうか不幸だろうが今はそんなことどっちでもいいのだが。

わからない人生

そして、今は家族、家庭環境について思い出している状態なのだが、私は実際に今大人として生きているわけで、それは実家での生活があり、両親に養育されてきた過去があるからだ。ただ、今思い出してみると、衣食住が与えられ、それなりに家族としての生活を営んできたつもりではあったが、実はその環境は普通というか、多くの人が過ごしている環境とは違っていたのではないかという疑念が出てきたのだ。単刀直入に言うと、与えられるはずの愛情(なのか何なのかはわからないが)を与えられないまま育ってきたのではないかということだ。

とはいえ、大きく道を外れるような人生を歩んできているわけではないので、「そんなはずはない」という気持ちもある。というか、その人生しか歩んできていないので、わからないのだ。他の人がどのように育ってきたのか、どういう関係性をもって家族らしいというのか。本来与えられるべきものがどのようなものかもわからないのだ。

無意識の自分

冒頭の話に戻るが、ただ、心理士さんと話していると、なぜか涙があふれてきたのだ。自分でもなぜ涙が出てくるのかがわからなかったので、最初は「おかしい」と思って涙を堪えていた。しかし、心理士さんに言われたことで一気に嗚咽を漏らして泣くに至ったのだ。

心理士さんに涙のわけを聞かれても、私もよくわからなかったので、とりあえずその時出せる言葉を何か出したのだと思うが、なんて言ったかももうあまり覚えていない。

たしか、私は今、自分の家族、というか、親に対して「もう過去のことなのでどうでもいい」とか「もっと違う育て方をされていたら」とか、無関心であったり半ば恨みのような感情を持っているが、それは自分を守るためにそう思っているのだろう、といったことを心理士さんに言われた気がする。そして私はそのことについて納得した。

そして、その上で心理士さんに、本当は、私は親からの愛情を受けたかったのだ、といったことを言われた気がする。それで混乱したというか、無意識の自分がそう思っていることに納得できるというか、だから今こうなっている、ということに納得できるけど、そこと表面化している感情とが合致しない、みたいな感じになっていた気がする。それでよくわからないけど涙も出てきたのだ。無意識の部分が表面化したことで無意識のうちに涙が出たのだろうか…?

流されながら

このことをここに書いているのは、半分備忘録みたいな感じなので、もし読んでくださっている方がいたらわけがわからないと思う。申し訳ない。

とにかく、私は今このように自分自身の奥底へと潜っていこうとしている。それなりにお金もかかることだし、人によっては怪しいと感じるかもしれない(一応言っておくと、ここに出てくる心理士さんは公認心理士と臨床心理士の資格を持っている人だ)。

ただ、私はこれをやることに意味があると思っているからやっている。本当は全ての人にこういった機会が与えられれば世の中もっとうまくいくのかな、なんて考えたりもする。もちろんそんなの必要ない人もたくさんいるんだろうけど(それも、そんな人生を歩んでないので毛頭わからないが)。

そして、以前の記事↑にも書いたが、このような日々を送りながらずっと恐怖に感じてることは、今この時間も子供たちは成長の過程を歩んでいるこということだ。かつて私が通ってきた、今に通じる道を歩んでいるのだ。それなのに、その最も傍にいるであろう私がこんな状態なのである。それは恐怖であり、不安であり、罪悪感のようでもあり、辛いことだ。されど無情にも時は流れていくのだ。

川の流れを止めることはできない。流されながら何かをしていくしかない。子どもたちはどこに流れ着くのか、どんな海に出るのか。できることなら同じ海には出て欲しくない。流れを変えたい。暖かい海に出て欲しい。方法を知らない私は何からすればいいのだろう。わからない私ができることは何なのか。本当の涙のわけを知ることができたら、わかるのだろうか。

Remember me (wien mix)

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