エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

つらいことばかりだね

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今日で今月の仕事が終わりそうだが、今日は朝から2回も下の階のお庭に洗濯物を落としてしまった(ほんとすみません…)。

そして息子はついにゲーミングヘッドセットで友達と会話しながらフォートナイトをしはじめた。

似たような悩み

昨日の深夜、昨日の分の仕事が終わってダラダラしていたら、友達から「ちょっと聞いて」的なLINEが来た。あまり詳しい話は書けないが、彼女の家族のことだった。うちの家族とはまた少しタイプは違うものの、彼女の父親もまた毒親というか、ろくでもない父親なのだ。

私と彼女はまだ知り合ってから1年も経っていないくらいの関係である。しかし私たちは何かのきっかけでお互い父親に問題があることを知り、たまにその話をするのである。

他所様の父親を「ろくでもない父親」などと言うと失礼だと思われるかもしれない。しかし、実際に本当にそういう親を持っていると、そこに怒りが湧くことはない。ろくでもないことが事実だからである。そのことも私たちはおそらく互いに理解している。逆にそのような言われ方をして腹が立つというのはまだ救いようがあるように思うし、ましてや「そんなことないよ、立派なお父さんだよ」なんていう人には、はっきり言ってわかってもらえないだろうなと思う。

彼女は「父が◯ねばいいのにと思ってしまう」と言っていた。これもまた、「なんてこと言うの!」と思う人もいるかもしれない。しかし、私にはすごくよくわかることだった。私などもう10代の頃から度々頭をよぎることである。実際に母の前で「あんな奴◯ねばいいのに」といったことを口走ってしまったこともある。もっともその時は「なんてこと言うの!」と言われたが。

血の繋がった家族との問題というのは、実に根深い問題であり、一朝一夕で解決する話ではないのだ。むしろ一朝一夕で解決するのであれば、その家族は至って健康的だと思う。私はまだ私自身がこの問題を解決していないため、こうだという答えを提示することもできないのだが、機能不全に陥っている家族というのは、本当に諸悪の根源となっている人が◯なない限り事態に進展はないのではないかと思ってしまう。諸悪の根源となる人をどうにかしようとしても、どうにもならない。だから◯なない限り無理、となってしまうのだ。

それ以外の方法というと、もう◯んでいるつもりで過ごすしかないように思う。現に私がそうであり、彼女の兄妹もまた縁を切っているそうだ。私が知っている限り、家族のことで問題を抱えている人でそういう人は少なくない。

何もできないけれど

先ほども書いたとおり、このような家族の問題は一朝一夕では解決できないが故に、私はあまり彼女に対してこれといった良いアドバイスはできなかった。彼女もきっとそのことはわかっていて、私にアドバイスを求めていたわけではないと思う。ここ数日間ずっと悩んでいたそうで、誰かに吐き出さずにはいられなかったのだろう。

ただ、彼女の父親はろくでもないのだが、彼女に対しての接し方については話を聞く限りまだほんの少し救いようがあるように感じた。だから「無理かもしれないけど、こうしてみたらもしかしたら何か動くかもしれないね」といったことだけ彼女には伝えた。彼女は「ちょっとやってみる。元気出た、ありがとう。また相談させてね」と言っていた。

私は自分の家族との問題すら解決できていないので、当然他所様の家族のことだって解決できない。具体的には何もしてあげることができない。

ただ、似たような悩みを持つ人には少なからず寄り添えているのではないかと思う。正直こんなことで繋がれるというのも酷な話ではあるが、こういった形であっても、ほんの少しでも誰かの役に立つのであれば、それはせめてもの救いかなと思うのだ。

つらいのがデフォルト

そんなことがあり、ふと思ったのは、私のこれまでの人生ってつらいことがデフォルトになっているなということだ。楽しい思い出もあるし、忘れているだけで楽しい時期もあったと思う。でも、このブログを読んでくださっている方ならお分かりかと思うが、だいたいいつも何かに悩んでいるというか、モヤモヤしながら生きている。

客観的に見て、私は食い物に困るほどお金に困った事もないし、それなりの教育も受けて育ってきたし、友達にも恵まれている方だと思う。なので、他人から見たら多分そんなに不幸じゃないと思う。というか、自分でも「私は不幸だ」とは思っていない。不幸ではないのだが、基本的につらいことが多いよな、とは思っている。

そして、たまにブログなどで「私は幸せです」「…でも、毎日幸せです」的なことを書いている人を見かけるが、「そんな風に思えてすごいな」とか「それってどういう感覚なんだろう」と思ってしまう。

これもまたおそらく私の心に抱えている何かのせいな気がしてならい、というか、次回のカウンセリングのお題にもなりそうだが、私には「安定感のある幸せ」みたいなのがないように思う。いつもかなりデフォルトで怖い想像とか良くない想像をして予防線を張っているし、あれこれと考えている。瞬間的に「幸せだな」と思うことはあっても、長期的に「幸せな毎日だな」なんて思って過ごしたことなどないように思う。ここにはまだ詳しく書いていないが、強いて言えば福岡にいた頃はわりと楽しい日々が続いていたかもしれない。多分本当は幸せな毎日なのに、そう心から思えない自分がいると言えば良いのだろうか。

でも、嫌いじゃない

だからと言ってはなんだが、このはてなブログ界隈の記事とか、リアルな友達とかもそうなのだが、やはり面白いというか、すごく興味関心を持つ人というのは何かしら問題を抱えている人が多いように思う。というかリアルだとわりと周りはそんな人ばかりな気がする。「まぁなんだかんだ言って、今の生活は恵まれてるよね、きっと…」みたいな人はいても、「毎日がハッピー」みたいな人はいないように思う。

ブログについても、もちろん「毎日がハッピーです」的な人のブログも読んだりはするが、「すごいな~」とは思っても、正直なところ申し訳ないのだが共感はできない。その人が悪いとかでは全然なくて、私にその感覚がないから共感できないのだ。

反対に、何かについて悩んでいたり、ちょっとしたことでも考え込みやすい人とか、精神的な病を抱えていたり、過去に抱えていた人、あるいはその類の悩みではないものの、特殊な環境にいる人とか、マイノリティな境遇にある人の話というのはとても引き込まれるし、共感できたりする。そしてそういう人に面白さというか、人間としての厚みのようなものを感じてしまうのである。

それは自分自身にも通じるところがあって、もちろん問題を抱えていることに対しては「鬱陶しいな」とは思うのだが、どこかその問題があることによって自分が面白くなるというか強くなるような気もするのだ。経験値というかなんというか、純粋に「私は不幸だ」と感じるのとはまた違う、変な感じ。それは特にここ最近思う気がする。つらいことがない自分なんて自分じゃないというか、つらいことがあって、それをなんだかんだやり過ごしてくのが私、みたいな。要はそんな自分がそこまで嫌いじゃないというか。問題があってもそれがいつか養分になる、みたいな感じかもしれない。

先日アイデンティティについての話を書いたが、ひょっとしてこれが「自分らしさ」ってやつなのかな?決して褒められたものではないけれど…。

つらいことばかり

つらいことばかり

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何気に名曲やな…

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