エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

ロス

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記念切手。どちらも私のヒーロー(そしてイケメン)

北京オリンピックが終わる。

来月は北京パラリンピックがあるのでそれがまだ救いではあるが、おそらく北京オリンピックほどメディアも騒ぐことはないだろう。

明日から完全にオリンピックロスである。

若さを失う代わりに

今大会はいつもにも増してすごく面白かったのでとても寂しい。

そもそも私は運動は苦手、というか自分がやるのはむしろ嫌いといってもいいくらいなのだが、オリンピック・パラリンピックに関しては歳を重ねるごとに見るようになっている気がする。

昔からオリンピックもパラリンピックも世界中の色々な国の人たちが一堂に会するので、なんだか図鑑を見ているような楽しさがあったし、開催国の文化が知れるのも旅行をしているような楽しさがあり、好きは好きだった。

ただ、「お祭り的楽しみ」で見ていた若い頃とは違い、今は「物語的楽しみ」で見ている感じがする。

なぜそうなってきたのかと考えた時に思うのは、4年という歳月をかけて1つの目標に向かってひたすら頑張ることの大変さとか、一瞬にかけることの難しさとか、一人だけでは成し得ないことであるとか、闇の部分であるとか、なんだか少しずつ色々なことが見えるようになってきているからではないか、ということだ。

私はずっと歳をとりたくないと思っているし、見た目とかが劣化していく自分を見るのも嫌だ。

あまり長生きしたくないと常々思うのは多分そういう理由もあるんだと思う。

でも、これまでしんどいこととか悲しいこととかムカつくこととか色々なことを経験して感じてきたからこそ、見えるものもあるのだろう。

若さを失う代わりに、歳を重ねるごとに年輪のように増えていくものもあるのだろう。

そう考えると、私のようなしょうもない人間でも、まぁ歳をとるのもそう悪いことばかりではいのかなと思えるのだった。

時間を失う代わりに

オリンピック期間中、私はかなりオリンピック優先の生活を送っていた。

締切があるというのに仕事を後回しにし、ついついソファに座って、あるいは寝転んで、色々な競技を見ていた。先日の高木美帆選手が金メダルを獲ったスピードスケート女子1000mの時は子どもたちもいて、お風呂や晩ご飯の時間が遅くなってしまうけどそんなのそっちのけで応援していた。昨日の夜も本当は仕事をするつもりだったが「りくりゅうペア」の演技に見入ってしまって、しかもその出来栄えに胸がいっぱいになり、その後仕事をせずに寝てしまった。

「あー、今これ見ちゃったらあとでしんどいな…」とはわかってはいるのだが、つい「リアルタイムで見たい」という自分の欲の方をとってしまうのだ。

リアルタイムで見たいと思うのは、多分緊張感が味わえるからだろう。

私は普段あまり「自分は今生きている」ということを意識することはない。それは多くの人もそうではないだろうか。

反対に、いつ「自分は今生きている」と強く感じるかというと、それは緊張している時だ。試験の結果がわかる時、ジェットコースターに乗っている時、強い地震が起こった時など、どれもリラックスとは真逆の状態の時である。

心臓がドキドキして、どこにも逃げ場がないように感じる時こそ「あぁ自分は今生きているんだな」と感じる。

私がオリンピックをリアルタイムで見たいと思うのは多分それに近いものがあるんだと思う。

客観的に見ると私がオリンピックをリアルタイムで見たからといって選手たちが必ずメダルを獲れるわけでもないし、だったらさっさと私は私の仕事をした方が人の役にもたてるし合理的なのだけれど、合理的なことが100%良いとは限らないのではないだろうか。

仕事や家事をそっちのけにしてテレビを見る。

一見なんの生産性もないことのように思えるが、他人の緊張を自分の緊張のように感じたりだとか、届きもしないのに大きな声で応援したりだとか、一緒になって泣いたりだとか、一緒になって喜んだりだとか、そういうことだって大事なはずだ。

ミニマリズムを筆頭に、削ぎ落すこと、合理的なことが良しとされがちな世の中ではあるが、大切なことまで失ってしまってはいないだろうか。

生きている限り時間は流れていく。それはまるで水のようである。

しかし、私たちはその水を全て飲むことはできないし、全て花にあげることもできないし、全て体を洗うために使うこともできない。必ず使い切れない水も出てくる。

でも、流れる水をただ見つめるだけの時があっても良い気がする。「あぁまだ水が流れてくるな」「まだ水があるんだな」と思うだけでもなんだか幸せなことのようにも思う。

失うのも悪くない

オリンピックが終わってしまうという喪失感はあるが、きっと暫くすればまたその空いた隙間に何かが入り込んでくるだろう。

思えばそんなことの繰り返しである。

お金を失っても、また仕事をすれば入ってくるし、仕事を失っても、また次の新しい仕事に出会える。友達を失っても、また新しい友達ができるし、好きな人を失ってもまた新しい好きな人ができる。そんなことの繰り返しだ。

失った分、そこには隙間ができて、私たちはそこにまた何かを入れることができる。

逆に考えれば、何かを入れたいのなら、わざと何かを失って隙間を作ればいいのだ。

失うって基本的に悲しさや寂しさが伴うものだけど、多分悪いことばかりじゃない。

何かを変えたいと思う時、その何かのために何かを失うことだって全然アリだろう。

勝ったり負けたり、泣いたり笑ったり。テレビに映るオリンピック選手たちから大切なことを学んだ17日間だった。

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