エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

オリンピック選手とその親御さんから学ぶこと

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先日から北京オリンピックの話ばかりしているが、昨日の平野歩夢選手のランは本当に素晴らしかったし安心した。競技前の緊張具合でいうとおそらく当の本人より関係のない私の方が緊張していたのではないかと思うほどだった。

冬のオリンピックでいうと、平野歩夢選手、高梨沙羅選手、高木美帆選手などは、彼らが中学生や高校生の頃からずっとその活躍を見ているので、彼らが大人になってもなお第一線で戦い続けている姿を見るのは本当に感慨深いものがある。

もう少し若い頃は「この子たちはこんなに若くして活躍しているのにそれに引きかえ私は…」なんてことを考えたりもしたものだが、今では自分と比べることもおこがましいというか、もはや「こんなに立派になって…」みたいな、近所の子どもが成長した、みたいな感覚である。やはり自分が親になると目線が変わるのかもしれない。

オリンピック選手を見ていていつも思うこと

ところで、これはおそらく私だけではないと思うが(実際に友達とも話したことがあるが)、オリンピック選手に限らず、スポーツ選手の活躍を見て毎回思うことがある。それは「親御さんの存在」についてである。

あくまでも私の肌感覚ではあるが、大舞台で活躍している選手というのは、かなりの確率で親御さんが子どものサポートを全力でしている。逆に言うと、親御さんのサポートが全くないのに活躍できてる人ってどれくらいいるのかな?という感じである。冬のスポーツ、特にフィギュアスケートなどの競技は親御さんのサポートなしで活躍するというのは成立しないのではないだろうか。

オリンピック選手をはじめとする活躍しているスポーツ選手のドキュメントなどを見ていると、だいたい皆次のいずれかのパターンに当てはまっているような気がする。

  1. 親御さんの両方またはどちらかがその競技(もしくは似た競技)の元選手で、自分の子どもが小さな頃からその競技をさせている。親御さんが率先して全面的にサポートをしている。
  2. 親御さんはその競技とは全く無縁であったが、子どもがその競技に夢中になったため、親御さんも全力でサポートをするようになった。
  3. コーチなどの第三者が偶然「この子は伸びる!」と目をつけ、親御さんに相談して一緒にサポートをするようになる。

つまり何が言いたいかというと、最終的には本人の努力や素質、やる気などが重要にはなってくるものの、ほとんどの場合は親が何もしなくて子どもが勝手に大活躍なんてことはないのでは?ということである。

実際に平野歩夢選手のお父さんも、元々サーファーで、子どもたちのために借金をしてスケボーの練習場を作り、さらに家族で車中泊をしながら練習や大会に行っていたという話をどこかで読んだ。

そこまでは行かなくとも、例えばうちの兄も昔はサッカーが上手で中学では全国大会にも出場したが、特にプロを目指しているわけでなくとも、それくらいのレベルになってくると親のサポートというのは不可欠だった。それが練習試合だったのか合宿だったのかは忘れたが、小学校の頃からグラウンドについて行ったり、泊りがけでどこかについていったりしていた記憶はある。

もし子供が「◯◯やりたい」って言ってきたら

で、私はそもそも運動が嫌いで、元スポーツ選手でもなんでもないので、まず「子どもに絶対これをやらせたい」みたいなものがない。さらにはスポーツに限らず、娘が発達凸凹ということもあり、そもそも子どもに求めるハードルみたいなのが低いと自分では思っている。なので、以前どこかにも書いたが、子どもに求めることといえば、「犯罪者にならないこと」「自活できるようになってほしい」「義務教育レベルの勉強だけはやっとけ」くらいで、特によい学校に進学して欲しい、とかいうのもない。もちろんできるに越したことはないとは思っているが…。

そんなわけなので、先ほど挙げた「1」のパターンになることはまずないのだが、問題は、今後「2」や「3」の展開になった場合だ。習い事レベルなら全く問題はないが、もしそれに膨大な費用がかかるとしたら…。

これと一番似ているパターンというか、最も身近なパターンが中学受験である。うちの息子は春から小学4年生なのだが、中学受験をする子はもうぼちぼち塾に通い始めている頃らしい。そしてそれが6年生まで続き、さらには中高も私立になったりするわけだから、中学受験する子とそうでない子のお金のかかり方は雲泥の差があるといえる。そして、今のところ息子は受験したいどころか「中学校って行かないといけないの?」と聞いてくるレベルなので、私も受験を促したりなんかもしないのだが、もし半年後とかにかに息子がいきなり「受験したい」と言い出したらどうしようと考えることはこれまでにもあった。

なお、ここの「どうしよう」というのは、

  • 「めちゃくちゃお金がかかるから将来が不安」のどうしよう
  • 「これで失敗したら親子共々メンタル崩壊するのでは」のどうしよう

の二つである。

今になって思うこと

でも、この北京オリンピックを見ていて思ったのは、若い選手たちの「チャレンジしようとする姿勢」が素晴らしいな、ということだ。メダルの色やメダルの有無に関係なく、競技を終えた選手も、これから競技に臨む選手も、チャレンジしようとしたし、チャレンジしようとしている。もちろん大会に出るからには結果を残すことも大切ではあるが、それより大切なことというか、意味があるのは「ひとつのことにまっすぐに取り組めるということ」ではないだろうか。

つまり、仮に子どもが失敗するかもしれなくても、親としてはやはり子どもの「チャレンジしたい」という気持ちを最優先に、出来る限りのことをしてあげるべきではないかと思う。もちろんお金も時間も無限に用意してあげられることはできないし、「これだけ入れ込んで結果的に活躍できなかったら…」なんてことを考えることもあるだろう。

しかし、仮に結果が目に見えるものではなかったとしても、子どもが全力でやりたいことにチャレンジできたら、きっとその時間はとても充実したもので、かけがえのないものになるし、そこから学べることも多いはずだ。

そして、仮にそれにかけた時間やお金が一見無駄になったように見えても、親が、親なりにその時でき得るサポートを全力でやっていたならば、子どもはそこから親の愛情を感じてくれるのではないだろうか(自分にはそのような経験がないため、あくまでも憶測ではあるが)。

親として今できること

今のところ子どもから「絶対にこれをやってみたい」みたいな申し出は一切ないし、この先もそんな熱い気持ちが子どもに出てくるのかも謎ではあるが、やはり経済的なことなど諸々問題はあっても、子どもが自ら何かにチャレンジしたいと強く望んだ時は、親としてでき得る限りのサポートをしてあげたいと思う。

例えばそれが「ユーチューバーになりたい」みたいな(実際息子もたまに言う)、大人の目から見て客観的にそれってどうなの?ということであっても、「明らかにその話詐欺だから」みたいな場合を除いては、対象が何であれ、チャレンジすることに意味があると思うので、応援してあげたい。

その時のために今できることは、まずは現実的な問題としてお金を貯めておくこと。そして、子どもを「チャレンジしても無駄だ」「どうせチャレンジなんてできない」という気持ちにさせないこと。

オリンピック選手にはなれなくても、チャレンジする人は美しいし、それを支える人もまた実は同じチャレンジをしていて、美しいと思う。チャレンジをやめなければ、見たことのない景色はずっと続いていくのではないだろか。

少し歳をとった今、オリンピックを見ながらそんなことを考えている。

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