エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

あぶくの家 ⑨キレる人

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前回の話↓

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強烈な記憶

父の支配とは一体どんなものであったか。それは、ほんの少しの暴力と幾度となく繰り返される罵詈雑言だった。

私の記憶が確かなら、父が暴力を振う姿を見たのは3、4回ほどしかない。もっとも「普通のお父さん」であれば暴力など一度も振るわないのかもしれないが。

ただ、回数が少ないだけに、逆にその時の光景は強烈な記憶として脳裏に焼きついている。まず一つめは、大人になってからも何度となく姉と「あの時…」と話すこともあるほど、私たちに強烈なインパクトを与えた「みかん事件」だ。

それはまだ「仮住まい」に住む前、まだ表面上では家族が平和に暮らしていた頃のことだ。おそらく私も姉も小学生だったのではないだろうか。ある夜、いつもと同じように居間でテレビを見ながら過ごしていると、父が母に何かを取るように言った。それがテレビのリモコンだったのか、何だったのかは覚えていない。そして、おそらく母にとっては何の気なしにとった行動だったとは思うのだが、その父に言われた何かを、母は父に直接手渡すのではなく、ひょいと投げるようにして渡そうとしたのだ。すると、それまでは至って普通の態度をとっていた父が、まさに「瞬間湯沸かし器」のごとく怒りだし、「お前はこうやって何でも渡すんか!こうやったらええんか!」と言って、こたつ机の上のかごに入っていたみかんを母に向かって投げつけ始めたのだ。

あまりにも突然のことで、私と姉は驚き、無言で床に散らばったいくつものみかんを急いで拾い集めたのを覚えている。その時兄がどうしていたのかは覚えていないが、おそらくあの時から私と姉は父に対して「突然キレる」「急になにをし始めるかわからない」といった恐怖心を抱くようになったと思う。

二つめは「ゴン」という犬を飼っていた時のことだ。ゴンという名前はやんちゃな者を意味する「ごんたくれ」という言葉からきていて、その名のとおり元気な犬だった。父は「ゴン」を仔犬の頃から育て可愛がっていたが、ある日、父がゴンを連れて散歩に出かけた時、ゴンが他所の家の犬に噛みつこうとしたのだ。その時、父はゴンの腹を思い切り足で蹴飛ばし、ゴンはその衝撃で嘔吐をしたのだった。その日以来、ゴンは人間を怖がるようになり、結果的に長生きはしたものの、おじいさんになり息を引き取るまでずっと臆病な犬のままだった。

もちろん飼い主の目が届くところで起こっていることである以上、他所の犬に噛みついて、その犬に何かあってはいけないとは思うが、犬が嘔吐をし、性格が変わってしまうほどの力で蹴飛ばすというのは子どもながらに常軌を逸していると感じた。

差別

三つめは、それからだいぶ後、もう姉が短大生で、私は高校生だったはずだ。当時姉には付き合い始めたばかりのAくんという彼氏がいたのだが、父はそのAくんと姉の関係を良く思っていないようだった。というのも、何がきっかけでそのような行動をとったのかはわからないが、父はAくんの出自を調べ上げ、Aくんがいわゆる同和地区の出身者であることを知ったからだった。

父はことあるごとにそのAくんのことを良く思っていないような発言をしていたのだが、ある日の夜、私と姉がリビングの隣にある自分たちの部屋で過ごしていた時のことだ。それほど夜遅い時間というわけでもなかったはずだが、姉がAくんと自宅の電話で話している真っ最中に、いきなり父が私たちの部屋に入ってきて、床に座って電話をしている姉の頭を思い切り蹴飛ばしたのだ。たしか「いつまで話しとるんや!」みたいな内容のことを怒鳴り散らしていたと思う。本当に突然のことだし、完全にそれは暴力以外の何ものでもなかったので私はかなり混乱した。

それまで姉には男の影というものが全くなかったので、父は娘に男の影を感じてそのような行動をとったとも考えられるが、おそらく、いや、間違いなくそれは違う。Aくんが同和地区の出身だったからだ。その後姉は別の男性、しかも外国人の彼氏を連れてくることになるのだが、その時の父の芝居がかっているほどのフレンドリーな態度に私は鳥肌が立った。明らかな差別だった。

また、私は中学生の頃から異性と仲が良く、高校生になってからは彼氏を家に連れてくることもあったが、父が姉に対してやっていた言動を私に向けることは一切なかった。私が高校生にも関わらず友達と居酒屋でお酒を飲んで夜遅くにディーゼルの汽車で帰ってきても、父は黙って駅まで私も迎えに来たりしていた。あの時の姉よりも何倍も私の方が好き勝手やっていたにも関わらず、私に暴力をふるうことはなかった。もちろん私は暴力をふるわれたいわけではなかったが、その父の態度の違いも理解できなかったというか、腑に落ちなかった。

止まらない罵詈雑言

そして、暴力よりももっと日常的に私たちを支配していたのは父からの罵詈雑言だった。何か少しでも自分に気に食わないことがあると、突然キレて大声で相手をののしり、これでもかといわんばかりにありったけの暴言を相手に浴びせかけるのだ。それは一度始まるとなかなか終わらない。「これくらいで止めておこう」ということが父にはなかった。自分の気が済むまで相手を怒鳴りつける。説教のようなわけのわからない、かなり自分本位な考えを相手に押し付けようとするのだ。「さすがにそれを言ったら駄目だろう」といったことも父はわかっていないようだった。

当然、最もその罵詈雑言の標的となったのは母であったが、それは家族であっても親族であっても、近所の人であっても、大切なお客さんであっても変わりなかった。ある意味一貫性があったともいえる。

その罵詈雑言の標的となった人はどういう態度をとるかというと、「離れる」という一択しかなかった。私たち家族は物理的に離れることができないため、精神的にしか離れることができなかったが、親戚や近所の人、お客さんなどは物理的にも離れていった。言い返そうとするとまさに火に油を注ぐことになるし、ましてやこちらの言い分など一切聞こうとはしない。人格を否定するような発言など当たり前にするため、黙って聞いていることすら辛く、離れるしかないのだ。

どんな酷いことを言ったのかは知らないが、ある時、父の仕事を手伝っていた、いつもひょうきんで温厚だったいとこのお兄ちゃん、つまり、以前に書いた、自殺した伯父さんの子どもにあたる人が「さすがにあれはあかんで」と話していたと、同じく後に父の仕事を手伝うことになる兄が言っていたのを覚えている。父に愛想をつかせて離れていったお客さんも多い。また、後に父は母にも耳を疑うような酷いことを言い、母の心を完全に閉ざしてしまうことになる。そして私も。

本人とってはいつもの罵詈雑言の一つ、一かけらでしかないのかもしれないが、その言葉を投げつけられた人はたった一言であっても、一生心に傷を負うことだってあるのだ。

そして、さらにタチが悪いのは、父はその罵詈雑言を気が済むまで浴びせかけた後、決まってその相手に対して、機嫌をとるような優しい言葉をかけてくることである。当然そんな言葉で父を許す者など誰一人としていない。皆これ以上罵詈雑言を浴びたくないので、表では許したような態度を取り自己防衛をしながら、そっと父から離れていくのだ。私にとって、そんな父の手のひらを反すような態度は吐き気がするほど醜くく、ただただ不快だった。

(つづく)

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