エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

あぶくの家 ⑥富を得る資格

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前回の話↓

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立派なご先祖様

私が生まれ育った地域には同和地区と呼ばれる地区があること、私の住んでいた地区のすぐ隣がその地区であること、そして、その地区の人たちの多くはある特殊な職種に就いていることは最初に書いたとおりだが、私たちの地区のご先祖様の墓地は、その特殊な職種の工場の真裏、つまりその地区との境界線のような場所にあった。

墓地は道路を挟んで両端にあり、私が子供の頃は肩の高さほどのただ頑丈なコンクリートの囲いではあるが、昔使われていた火葬場などもあった。どういう意図でその場所に設けられたのかはわからないが、今となってはその地区と隣接する場所にわざわざ墓地や火葬場が設けられているというのも差別の一部であったのではないかと思う。

私たちの住む地区の方向から向かって右手側には戦争で亡くなったご先祖様の墓が5基並んで建っており、その中でも私のご先祖様、つまりは父や祖父のご先祖様に当たる人のお墓は一番左側、他の4基の墓とは別に独立した囲いの中に建てられていた。そしてその墓はその墓地にあるどの墓よりも立派だった。墓には「故陸軍中尉」といった肩書きが書かれていた。お盆などに墓参りに行くとその墓にも必ずお参りをするのだが、そういう時、なんとなく父が誇らしげだったのを覚えている。

また、道路を挟んだ反対側にはその地区に住んでいる人たちのそれぞれの墓があり、その中でも私の家の苗字と同じ墓が一番多く建てられていた。つまりは、私の家系はその地区の中でも一番大きな一族だったことを意味する。

それがどれほど前からの話で、どれくらいの力を持っていたのかは私の知るとろではないが、とにかく祖父はいわゆる「地主」というやつで、その地区のいたるところにいくつもの田畑や空き地、近所の山などを持っていた。

富を得る資格

ただ、祖父は単純に先祖代々の富を受け継いでいるだけの人ではなかった。社労士(社会保険労務士)の資格を持っており、当時の田舎では多くの人から頼りにされる貴重な存在だったようだ。母は、父方の祖母については「過保護」、父については「マザコン」といったようなことをよく言っていたが、祖父については「勤勉で立派な人である」というようなことを言っていた。おそらくそれは本当のことだと思う。

「本家」と呼ばれていた祖父の家、つまり私の父の実家は、木でできた立派な門があり、家の周りはお城のような瓦の付いた白壁の塀で囲まれていた。門をくぐると左手側に庭園のようなものがあり、たしか中庭や蔵もあったと思う。子どもの私にとってはいくらでも奥に部屋があるようなイメージのお屋敷だった。

父は3人兄妹の真ん中で、兄と妹がいる。どちらももう現役ではないが、兄、つまり私の叔父にあたる人は長男ということもあって祖父と一緒に暮らしており、たしか農協の職員か何か、わりと堅めの仕事をしながら農業をやっていたと思う。見た目は父と似てはいるものの、父とはまるで正反対の性格の物静かで真面目なタイプの人だ。その子ども、すなわち私のいとこにあたる人は2人いたが、2人兄妹の妹、いとこのお姉さんに当たる人は、私が小学3年生くらいの時に、高校生だったが突然心不全で亡くなってしまった。なお、余談ではあるが、兄と私は後にそのいとこのお姉さんと同じ高校に入学をし、卒業することとなる。

そして、父の妹であり私の叔母にあたる人は地元の病院でずっと看護師として働いていて、旦那さんも病院で何かの技師をしていた。明るく考え方が柔軟で、なおかつはっきりと物を言う人で、昔から「自立した強い女性」といったイメージの人だ。近況を伝える程度ではあるが、私は今でもたまにその叔母さんと連絡をとることがある。また、その子どもたち、いとこにあたる人も2人兄妹で、今はもうどうしているかは知らないが、私たち3人兄妹とは学生の頃くらいまではわりと仲良くしてくれていた。

そのため、いとこのお姉さんが亡くなるまでは、祖父や祖母にとっては孫が7人いた。その中でも私は最年少だったため、祖父や祖母との関係は名前を忘れられるほど希薄ではあったが、とにかく、祖父、叔父、叔母については皆しっかりとしていてお金持ちという印象だった。

しかし、子どもながらにも私は、自分の父だけがなんとなく違うような気がしていた。サラリーマンが肌に合わず、保険代理店の仕事を自営業でやっている、なんだか3人兄妹の中で一人だけ道から逸れている感じ。いとこたちにとっては「面白いおっちゃん」という存在だったとは思うが、今となれば父にだけ富を得る資格がなかったのだと思う。

世の中には、富のある家に生まれてもその境遇に甘えるのではなく、その境遇を利用して更なる富を得るために努力をする人と、その境遇に甘えて努力することなく堕落していく人がいる。

祖父、叔父、叔母は前者で、父は後者だったのだ。

奇妙なご祝儀袋

そんなわけで、自宅があった土地以外にどこの土地を売り、祖父からどれだけのお金を出してもらったのかなど詳細についてはわからないが、父は多大なる借金を抱えたものの、祖父の持っていた富のおかげで夜逃げをしたり首を吊ったりすることなく、なんとか難を逃れることができたのだった。

なお、何故他に土地があるのに自宅があった土地を売ることになってしまったのか、私も未だにそのあたりのことをよく理解していないのだが、父はそんな状態で祖父から援助を受けながらも、現在も自宅の土地以外に近所に3カ所ほど、父のものとされるそれなりに広い土地を所有している。そして叔父もまた、近所に数カ所の土地を所有している。いずれも祖父からもらった土地であることは間違いない。

祖父がどれほどの富を貯えていたのか知る由もない。しかし、非常に印象的だったのは、私が中学に入学する直前、兄が神戸にある某私大に入学することになった時のことだ。ある日祖父が兄への入学祝いとしてご祝儀袋を持って来たのだが、そのご祝儀袋が尋常ではない厚さだったのだ。ご祝儀袋についての知識など全くない小学生の私ですら、その袋の厚みが尋常でないことは一目でわかった。そして「うちっておじいちゃんからあんなに援助を受けないといけないほどヤバいんだな」と私はその時改めて思ったのだった。

真っ当な人間であればそこで反省をし、自分のやってしまったことを恥じながら、慎ましい生活を営み、真面目に目の前にある生業に励むことだろう。しかし私の父はその後も真逆の行動をこれでもかというほどとるようになる。

どうして父がそのような行動をとるようになってしまったのか、家族の誰一人として父に問うことはなかったが、私はやはり父は富を得る資格を持っていなかった、つまりはあらかじめ用意された富に甘えるだけで努力をしてこなかったが故に、立ち直る術すらもわからなかったのだと思っている。

また、これはあくまでも私の推察ではあるが、折悪しく、父はその頃に突然急性B型肝炎を患い、短期間ではあるが入院をすることになった。そういった追い打ちをかけるような出来事も、根が浅い若木のような父の心を根元からへし折ってしまったのではないかと考えている。

ただ、だからといって私はそんな父を可哀想だとは思わないし、許すこともできない。なぜなら、家族を心から愛し、自分がやってしまったことを心から反省し、祖父に対して心から感謝することができていれば、これから書くような数々の酷い言動をはじめとする堕落した生き方など、決してできないはずだからだ。

(つづく)

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