エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

失恋からの考察 #1 既婚者対既婚者【後編】

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気分の落ち込みもグラフに反映されている気がする

ショボいアクセス数なのですが、昨日の当ブログの1日のアクセス数が過去最高値を更新しました。

失恋からの新たな旅立ちに対する餞別、いや、失恋お悔やみ申し上げますの香典でしょうか…。いずれにせよありがとうございます。複雑な気持ちですが、嬉しいです。

ということで、本日は昨日の記事↓の後編になります。

edoandlee.com

せめて心は自由であれ

昨今、不倫や浮気をするとぶっ叩かれる世の中ではあるが、私は、たとえ結婚をしていたとしても、配偶者以外の他の誰かを好きになってしまうことは当たり前にあると思っている。出会ってしまったら仕方がないのだ。

おそらく、社会的にはいけないことだとわかってはいるものの、同じような考えを持っている人は実は少なくないのではないかと思う。そして、それは実際に行動に移すか、移さないかの違いなだけで、配偶者以外の誰かに一時的にでも好意を抱いたことのある人はかなりの割合でいるのではないかと私は思っている。

ただ、結婚している人の多くは、配偶者や子どもを含む家庭、親戚とのつながり、社会的な立場などが壊れてしまうことや、誰かを傷つけてしまうことを知っているから、配偶者以外の誰かを好きになってしまっても、行動に移すことをしないでいる。

一方で、行動に移してしまう人もいる。そして誰かを傷つけたり、今ある状態が壊れてしまったりする。中には行動を起こしても、誰にも気づかれることなく、もしくは気づかれていても何も変わらないままの人たちもいる。

私は、家庭が壊れてしまった方の人間であり、心を傷つけられた側の人間だ。

ただ、夫(仮)の相手は女ではなく、酒だった。夫(仮)は酒に心を奪われてしまった。酒は女よりもタチが悪い。そこらじゅうに居て、いつでも会えるし、それなりのお金さえあればいくらでも溺れることができる。そして一度心を奪われてしまうと、もう死ぬまで関わるまいと耐え続けること以外、関係を絶つ方法はない。

その時点でもう家庭は壊れていたのに、私は必死で取り繕おうとした。何年も心を殺し続けてきたが、結局どうあがいてもバラバラになったものを元の形に戻すことはできなかった。そして、真っ暗い井戸の底みたいなところで気付いたことは「せめて心だけは自由でなければならない」ということだった。それさえできれば、どんな状況でも生きていくことができると思った。

それから私は、自分の心に嘘をついたり、心を殺して生きることをやめた。そしてまた、人を好きになることができた。それはとてもキラキラしていて素晴らしい瞬間だった。

矛盾

しかし、私は今また、自分の心に嘘をつき、心を殺して生きようとしている。それは、私が心を自由にしてしまうことによって、かつての私のように、家庭が壊れてしまったり、心を傷つけられる人が生まれてしまうかもしれないからだ。

その御人が提案してくださったように、友人(?)としての交友関係を続けることは現実として可能なものであったかもしれない。しかし、私が心の自由を守り恋愛感情を抱き続けている以上、私は常に心の自由をもって一線を越えようと励んでしまうだろう、なんとかしてその御人の手を引こうとしてしまうだろうと思ったのだ。

だから、私はとても混乱していたし、今も混乱している。心だけは自由であるべきだと思ってはいるのに、自由であろうとすればするほど、いけないことになってしまうという矛盾に。

どうすればよかったのか

では、私はどうすればよかったのか。どうすれば自分の心に嘘をついたり、心を殺したりすることなく、キラキラとした世界で人を好きになることができていたのか。

そもそも、結婚してから現在に至る11年の間に、例えば偶然どこかで出会った誰かに対して「いいなぁ」と思うことはあっても、行動に出るほどのことはなかった。

それは自分の心を殺して生きていたせいもあるが、これほどまでに自分にとって「興味・関心」を抱かさせてくれる人がこれまで現れていなかったということが一番にあると思う。

そしてもうひとつは、これまでは「相手が既婚者である」と知った時点で心を「興味・関心」以上のところに持って行かぬように壁を作っていたこともあるだろう。

そう考えると、今回その御人を好きになってしまったのは、私が「相手が既婚者である」という確認を早い段階で行なわなかったことに問題があるように思う。

例えばこれまで、仕事などで既婚者の男性と知り合うことは度々あったが、「結婚指輪をしている」「家族の話をする」といった情報から、私は相手が既婚者であることを認識してきていた。ただ、今回に関しては全くそういったことがないまま、プライベートで関われる関係へと進展してしまったのだ。

つまり、その手前で私が確認を怠ってしまったこと、その御人の言動から勝手に「既婚者ではない」というふうに受け取ってしまっていたことに問題があったのだろう。

既婚者と知っていも恋に堕ちてしまっていた可能性も捨てきれはしないが、少なくとも、自分から恋に堕ちてしまうほど流れに身を任せるようなことはせず、健全な関係を築くことができたのではないかと考える。

自由と覚悟

とはいえ、どれだけ私が自分の行動を悔やんでも、もう戻ることはできない。今私にできることは、その御人の幸せを壊すことのないよう、何事もなかったかのように振る舞い、自分の心と向き合うこと、それだけのような気がする。

自分の心を自由にしたままで、その御人のことを想い続けることももちろん可能ではあるが、私にとって、心のままに行動に起こせない、ただ想い続けるということはとてもつらいことだ。だからきっと私は今、時間が過ぎるのをただひたすら待って、この今の心が時の流れとともに形を変えていくことを待つしかないのだろう。

既婚者が既婚者に恋をすることが自由であることは確かだが、やはり多くの場合、心の自由はそこまでで終わりだろう。それ以上の心の自由を求めるならば、その自由と引き換えに何かを壊してしまう覚悟が必要となるはずだ。

でもひとつ言えることは、少なくとも私は、自分の心に嘘をつくことなく、好きな人に想いを伝えることはできた。あの時、私の心は確実に自由を手に入れていた。そしてほんの一瞬、世界がキラキラして見えた。

形を変えたとしても、いつかまたあのキラキラした世界が日常として訪れることがあるかもしれない。そのために、私は今この心と向かい合うことを続けるしかないのだろう。

(やはりまだ気持ちの整理がついていないのでぼんやりとした終わり方になってしまいました…すみません)

 

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