エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

失恋からの考察 #1 既婚者対既婚者【前編】

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 今日は土曜日なので、先週の記事↓と同じように本来であれば固定休として過ごす日なのだが、如何せん昨日の失恋のことが尾を引いているため、今日は一日じゅう仕事をして、少しでも気持ちを別のところに持っていこうと考えていた。

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しかし、やはり睡眠というのは偉大である。

途中ゴミ出しに起きたが、その後また昼前まで寝て、起きて、掃除やら洗濯をしていたら、次々と頭の中に失恋からの考察に関してのセンテンスが浮かんできた。昨日の記事にも書いたが、私にとってセンテンスが浮かんでくる=文章が書ける状態というのは、ある程度頭の中が整理されてきていることを意味するのだ。

ということで、やはり今日は休日にして、今回の失恋からの考察について書いてみたいと思う。なお、タイトルに「#(ナンバー)」をつけたのは、これからも私が誰かを好きになりたいという期待と、結局失恋するのではないかという不安からである。

災い転じ福と為す、ために

記事を書ける状態ではあるとはいえども、私は昨日の今頃も、そして今も悲しみの底にいるし、今回好きになった御人のことを好きな気持ちはまだ変わらない。

最初に「恋」という言葉に「落ちる」という表現を用いた人は本当に秀逸だと思う。私はまさに「落ちて」しまった。いや、「堕ちる」という表現の方が正しいかもしれない。私はある別の世界に嵌まりこんでしまったのだ。

一度別の世界に嵌まりこんでしまうと、そこから抜け出すのは容易ではないことは、多くの人が知るところだろう。なので、もし1週間後、1ヶ月後、もしかしたら1年後も、今回恋に落ちてしまったその御人が私の目の前に現れたら、私はその御人のことをきっと受け入れてしまうのではないかと思う。

その理由については後述するとして、なぜ私が今そのような状態にあるにも関わらず、これを書こうと思ったのかというと、こんなことを書いたら頭がおかしいと思われるかもしれないが、私は過去の自分の記事を読んで、自分の記事なのに「面白い」と思って読み進めてしまうことが多々あるからである。

最初は誤字脱字がないかをチェックするために過去の記事に目を通すのだが、途中くらいから、まるで自分が書いたものではない感覚になり読み進めてしまうのだ。これはただ単純に仕事で毎月何万文字、このブログを入れたら月十万文字以上の記事を書いていることにより、わけがわからなくなっているだけかもしれないが、後で自分の記事を読んでみて、自分が書いたのにも関わらずそこから「なるほどね~」と思ってしまったりするのだ。

なので今日も、こんな心理状態ではあるが、今考えていることを今だからこそ書き残しておこうと思ったのである。昨日の記事の最後に紹介した「原罪と福音(東京事変)」の歌詞にもある「災い転じ福と為す」ではないが、いつかこの記事を読んで、また学べることがあるかもしれないと考えたのだ。

そして、もう一つ、テレビでお馴染みの明石家さんまさん。彼が「自分の出演した番組を見て笑う」という話をご存知の方も少なくないかと思うが、その理由は「自分だけは認めようと思った」からだそうだ。詳しくは以下の記事↓でまとめてくださっているので読んでいただければと思うが、私も、決して人に誇れる人生を送ってきてはいないが、書くことでくらいは自分を認めてやってもいいのではないかと、ふと思ったのである。

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嫌いになる理由がない

さて、ようやく今回の失恋の話の本題に入るとするが、私は「失恋」と言っているだけあって、今回恋に堕ちてしまった御人のことを嫌いになったわけではない。先ほども書いたとおり、もう成就することはないとはわかっていても、まだその御人を好きな気持ちは変わらない。それは相手のことを嫌いになる理由がないからだ。

この辺の過去の記事↓を読んでいただいた方ならわかるかもしれないが、私は恋人と別れたり失恋したからといって相手のことを嫌いにはあまりならない。

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それは、自分が振られたり、相手に別に好きな人がいて振られたりした場合はもちろんだが、自分から別れを切り出した場合もそうだ。多分嫌いで別れを切り出すというよりも、なんとなく「好きという気持ちがなくなった」とか「このまま関係を続けてもこの人に気持ちが戻ることはないな」みたいな感じで別れを切り出すからだと思う。

ただ、嫌いになった人もいないわけではない。というか、これまでそれなりに色々な人を好きになってきたが、完全に「嫌い」という感情まで行きついたのは2人だけだ。1人は大学1年の時に付き合った元彼で、もう1人は非常に残念ではあるが今別居中の夫(仮)である。

いつかまた別記事で書ければと思うが、大学1年の時の元彼は、ひと言で表すと「そいつの周りの登場人物全員某宗教関係者」だったのだ。私は仏教徒で、基本的に他人の信仰についても寛容なつもりだが、そいつに関してはやり方が完全に「騙しの手口」だった。私はその経験がトラウマとなり、それからというもの、誰かと付き合う時は早い段階で相手の宗教を確認するようになった。

そして夫(仮)については、長年にわたり自分にとって嫌だと感じることを繰り返し続けられてきたという背景がある。

つまり、自分に対して嫌なことをした人でなければ、たとえ失恋したしてもその人のことを嫌いにはならないのだ(書いていて当たり前な気もしてきたが…)。

今回の失恋の概要

また話が少し逸れてしまったが、ここからは今回の失恋の概要について書こうと思う。なお、お相手の社会的立場もあるので、現時点ではそこまで詳しく書けないことはご了承いただきたい。

今回は、まず私とその御人は、最初から恋愛対象になり得る関係で知り合ったわけではなかった。つまりは、プライベートにおいての、何の制約もない状態で知り合ったわけではないということだ。

しかし、私の方がその御人に対して興味・関心を持ち、プライベートで関われる関係に進展し、私はその御人のご厚意による言動によって「興味・関心」という段階から「恋に堕ちる」という状態にあっという間に陥ってしまったのである。

ただ、恋に堕ちてしまったと同時に、私はその人が既婚者であるという事実を知ることとなり、そこでその御人との関係を断ち切ることにしたのだ。

その御人は、私が既婚者であり、別居中の身であることなどは以前からご存知であったため、友人(?)としての交友関係を続けても良いとしてくれてはいた。しかし、私は以下の記事↓にもあるとおり、離婚の予定があり、夫(仮)とも異性との交際を互いに認め合っているため、一応社会的には既婚者ではあるものの、いつでも恋愛できる状態にあるのだ。

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そのため、私がその御人と同様に自分の配偶者のことを愛していれば、もしかしたらその御人とも友人として健全な関係を続けることができていたのかもしれない。ただ、私がその御人に対して既に一方的に恋に堕ちてしまっていたため、たとえその御人に恋愛感情がなかったとしても、私に恋愛感情がある以上、関係を続けることは難しいと判断したのである。

私はその御人のことを尊敬しているし、もとはといえば「興味・関心」からプライベートで関われる関係へと発展したため、まだまだその御人への「興味・関心」は尽きてはいない。本当はもっとその御人のことを知りたい、色々なことを教えて欲しいと思っている。当然、その過程で相手を知ることによって逆に恋愛感情が消える可能性もあるため、私の心の在りようによっては健全な関係を続けることもできたのかもしれず、今回の私の判断は見方によっては非常に勿体ない話ではあった。

ただ、一度「堕ちて」しまっていた今の私にとってそれは困難なことだった。

では、どうすればよかったのか。どうすれば私は「堕ちる」ことなくその御人と健全な関係を続けることができていたのか。後編(多分)ではその考察について書きたいと思う。

(つづく)

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