エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

あぶくの家 ⑤事実と嘘

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前回の話↓

edoandlee.com

さよなら我が家

仮住まいでの生活が始まってからそれほど時間が経たない間に、私たちがそれまで住んでいた家の取り壊しが始まった。

朝、学校に行って午後帰ってきたら、もう二階部分はほぼなくなってしまっていた気がする。

自分がつい先日まで住んでいた家。その家が壊されていく様を見るのはなんとも言い難い気持ちではあったが、私がその様を見て涙するようなことはなかった。それは間違いなく「またそのうち新しい家が建つ」という意識が私の中にあったからだ。

私は家が取り壊される前に、あのお気に入りだった脱衣所のガラスでできたライトセーバーみたいなタオル掛けを取り外していた。今ももしかしたら実家の押し入れに眠っているかもしれない。もしそうだとしたら、あの家の「形見」となるものは、もうあのタオル掛けしかないだろう。

生まれ育った我が家が完全に姿を消してしまうまで、そう時間はかからなかったと思う。

芝の生えた庭も、父が時間をかけて作った物置きも、自転車置き場も、栗の木も、柿の木も、ソテツの木も、台所の窓を開けると見えたカエルだらけの汚い小さな池も、何もかもが姿を消し、そこはただ茶色い土がべっとりと広がる更地となった。

しばらくして、その何もなくなった更地と、私たち家族の住む仮住まいがある敷地との間には、大人が1人通れるほどの隙間を残し、頭の高さくらいまであるブロック塀が造られた。

ブロック塀が完成した途端、それまで自分の家の一部だと思っていたその土地は急によそよそしい存在に姿を変えた。「もうここに立ち入ってはいけない。もうここはお前たちの土地ではないんだよ」――声は聞えずとも、灰色のブロック塀が私たち家族に突き放すような口調でそう言っているように感じた。

最大の被害者

ほどなくして、ブロック塀の向こうには二階建ての大きなビルのような立派な建物が建てられ、その周りには10台以上車が停められるアスファルトの駐車場ができた。ビルのような建物には汽車の窓からもはっきりと見えるほどの大きな看板が取り付けられた。私の家があったその場所は、全く知らない会社のものになったのだ。

単なる偶然には過ぎないが、皮肉にもその立派な建物の屋根の色は私の仮住まいと同じ緑色をしていた。

2階には社長室らしき部屋があり、いつもブラインドが開いていて、時折社長らしき男性が外を眺めている様子が見えた。

「なんか覗かれてるみたいで嫌やわ」母はよくそんなことを不満げに言っていた。

そして、台所の窓、洗面所の窓、トイレの窓…その会社に面した窓には全てカーテンや簾が掛けられた。

私たち家族が仮住まいに住むようになって暫くして、母は家から少し離れた場所にあるスーパーのお惣菜売り場のパートに出るようになった。もっと近くにも同じスーパーの別の店舗はあったが、おそらく母もあまり近所の人に知られたくなかったのだろう。

勤務時間は朝8時頃から昼の13時頃までだったと思う。朝7時半頃には車に乗り家を出て、13時半頃に仕事を終えて帰ってきて、いつも遅めの昼食をとっていた母を思い出す。

当時の兵庫県の最低時給など600円代、10年ほど前ですら700円代である。それでも母は私が娘を産むくらいまでその職場でずっと働き続けていた。お盆やお正月など、繁忙期には夕方頃まで働く時もあった。雪が積もる日も、台風の日も、家を早く出たり、父に送ってもらったりしながら働きに出掛けていた。

母は長い間その職場に勤めていたので、当然職場の人とも仲良くなり、一緒に同じ職場の人と乗り合わせて休日などに出掛けることもあった。そして、職場の人に送ってもらう時、母はいつも家から少し離れた大きな道で車から降ろしてもらうようにしていると言っていた。家がバレないようにするために。

先に書いたとおり、私が生まれ育った地域では、基本的に家は二階建てであることが大前提だ。だから、平屋に住んでいるということはつまり、みっともないことを意味するのだ。

「お金持ちの大きな家」から「仮住まい」になったことで、一番ダメージをくらったのは間違いなく母だ。なぜなら母は最初から「仮住まい」が本当は「仮住まいではない」という事実を知っていたからだ。

事実と嘘

やっぱりいつもそうなのだ。事実はいつもすぐに知らされることはない。

「あの時はほんまにどうしようって、もう夜逃げしようかって言うてたんや」母からそう聞かされたのは、仮住まいに住み始めてから何年か経った頃だった。

ただ、私ももうその頃には、自分の住む「仮住まい」が「仮住まいではない」こと、そして今さら新しい家が建つ状況ではないことを勝手に理解していた。

なぜなら、当時の父の生活態度、やることなすことを見ていれば、もはやそんなことができるはずがないと容易に想像できる状態であったし、何より私の両親は、本来は事実を伝えるべきであろう人に事実を伝えない人だとわかっていたからだ。

「お金持ちの大きな家」が「仮住まい」になった理由。それは、他ならぬ「バブル崩壊」だった。

借金の総額はいくらかわからないが、株は当然のこと、ゴルフ会員権、マンションはたしか隣の市のどこかに一棟買いしていたはずだ。母から話を聞かされた時に「そんなの買ってたん!?」と驚いた記憶がある。どれもこれも、いかにもバブル期に調子に乗った者が手を出しそうなラインナップである。

夜逃げを本気で考えるレベルなのだから、まぁ借金が相当な額であったことは間違いないだろう。

なお、私が知る限り、バブル崩壊を期に家が小さくなった友達や同級生、近所の人などはうち以外に誰もいなかった。急に転校する子もいなかった。多かれ少なかれ、バブル崩壊によってお金を失った人はいただろうが、皆自分の家を守ることはできるレベルの損失で抑えることができていたのだろう。

今思えばではあるが、まだ仮住まいではない方の家に住んでいた頃から、その予兆というか、おかしなことになっていたのだと思われる出来事はあった。

ある時、父と母が2人でどこかに出掛けて行って、帰ってきたと思ったら、夜にいきなり「今日有名な占い師さんのところに行ってきた」みたいなことを言って、ラジカセにカセットテープを入れ、何かを流し始めたのだ。

ラジカセからはおばさんのような声でお経のような、歌のような、一本調子で物語のようなものを話す声が聞こえた。

たしか人間だったか動物だったか忘れたが、何かの生き物がどんどん山を駆け下りて行って…みたいな始まり方だったと思う。結局最後まで聴いても話の意味がよくわからなかったのだが、母から「一番下の子が立派になって助けてくれるみたいなこと言うてるんやで」的な説明をされたことを覚えている。

そして私はその説明を聞いて、「いきなりこの歌みたいなの何なん?」「この女の人は誰なん?」といった疑問を抱きつつも、「3人兄妹の中で私が一番何か役に立つのかな?」と、なんだか少し嬉しいというか、優越感のような気持ちを抱いたことも覚えている。

本当に、今となっては気持ちが悪く、そして馬鹿馬鹿しく、情けない話ではあるが、おそらくその頃からすでに、両親の前には占いにすがりつきたいと思うような出来事が起こっていたのではないかと思う。

ではなぜそのような多大な借金を抱えながらも夜逃げという最低な選択を回避できたのか。それは私のおじいちゃん、つまり父方の祖父のおかげである。

母もあの時言っていた、「おじいちゃんのおかげで夜逃げせずに済んだんや。ほんまにおじいちゃんのおかげや」と。

(つづく)

 

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