エド&リーのブログ

ライター&別居中ほぼシングルマザーの雑記。Instagram:edoleekikakuもやってます。

あぶくの家 ②お金持ちの家の子

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前回の話↓

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お金持ちの家と普通の家

「本当のお金持ちは都会でこういう豪邸に住むんだ」そう思い知ったのは私が20代後半に上京してからのことだ。

上京して最初に住んだのが田園調布寄りの自由が丘だったので、大家さん含め家の周りは豪邸だらけで、有名人もよく見かけた。

話を戻すが、地方の田舎に行ったことのある人ならわかると思うが、田舎は基本的に家は大きいものだ。最近でこそハウスメーカーがこぞって家を建てるようになってはいるが、少なくとも私が子供の頃(昭和後期)くらいまでは、古くからその土地に住む人は皆工務店の職人さんが建てたその地方独特の造りをした家に住んでいた。

田舎で土地があるとはいえ、平屋や、ましてや借家に住む人なんかはごく少数で、言葉を選ばずに書くとすれば、そこに住むのは何らかの理由による低所得者層の人か、訳ありの人くらいだった。マンションは町に3棟くらいしかなく、珍しい存在で、都心部から転勤でやってきた人が多く住んでいた。田舎で土地はあるとはいえ、なぜか基本的に家は二階建てであることが大前提だった。

そのため、家の形状を見るだけで、だいたい「元からその土地に住んでいる、土地を持っている(お金のある)家」なのか「普通の家」なのか「ちょっと訳ありの家」なのかがわかる。

都会の感覚で見ると十分に立派な家であっても、区画整理された新興住宅地に住む、建売住宅のような家に住む子は「普通の家の子」だ。何らかの理由で自分たちの親が自分たちで家を建てて住んでいる子。ごくごく普通の、ある意味親が努力して自力で建てた、真っ当な家の子たちである。

一方私の家は、工務店の職人さんが建てた地方色のある家だった。わかりやすいのは、家の屋根に鬼瓦がついていたことと、独特の内装だろう。和室には龍かなんかが彫られた欄間があって、床の間もあった。風呂場やトイレは職人さんが一枚ずつ貼ったと思われるタイルが敷き詰めてあって、すごく印象的だったのはタオル掛けがガラスの棒でできていたことだ。私はそのガラスでできたライトセーバーみたいなタオル掛けがすごく好きだった。

昔ながらの造りではないものの、新興住宅地に建つ家とは一線を画していた。そして何より庭というか家の周りの土地の面積が異常に広かった。今思えばあの敷地にあと何件戸建てが建てられていたことだろう。

しかし、それは親が自力で建てた家ではなかった。祖父が建てた家だった。つまり真っ当な家ではなかった。異常に広い敷地も、全て祖父の力によるものだ。この祖父の力というのは、後々私の家族にとって大きな影響を与えるものとなる。

お金持ちの家の子

とはいえ、実は祖父の力がかなりのベースになっているのだが、私は子どもの頃「お金持ちの家の子」だった。

ただしそれは結果的に単なる虚構であったため、当然私はお金持ちの家の子らしい教育など何一つ受けておらず、育ちは全く良くないまま現在に至る。母は高卒、父は当時は珍しい私立高校からエスカレーター式で私大に入った、親(祖父)の金の力で学歴を手に入れたいわゆるただの「ボンボン」である。

そして、そのせいもあり、中途半端にお金持ちの家の子として幼少期を過ごしたわりにはお金持ちらしい教育を受けていないため、大人の今になっても私には変にどちらにも振り切れない感覚みたいなのがあって困ることが多々ある。

話を戻すが、私の旧姓の本名は苗字がYで名前もYなのだが、子どもの頃は、友達と遊んでいて、その子の親に名前を伝えると「Yさんてあの◯◯(地区の名前)のYさん?あの大きな家の?」とか「Yちゃん家はお金持ちだもんね」みたいなことを日常的に言われていた。

自分はそれが普通で育ってきたので「あ、なんかうちってよそから見たらお金持ちなんだ?」くらいにしか思わなかったが、今思えばあの頃は結構いい暮らしをしていたと思う。

私の実家の近くには祖父と祖母の家、つまり父の実家がなのだが、盆や正月の祝い方とかが今思うとかなり派手だったし、旅行にもかなり頻繁に行っていた。西は山口から東は静岡まで、車で色々なところに行っていたのを覚えている。

特によく覚えているのは、「お寺のおばあちゃん」も一緒に旅行した時のことだ。「お寺のおばあちゃん」とは母方の祖母のことで、母の実家はお寺で、祖父は母が高校生の時に亡くなっているので、母方にはおばあちゃんと母の兄をはじめとする親戚しかいなかった(もちろん母の兄はお坊さんである)。お寺のおばあちゃんはそこまで遠くに住んでいるわけでもなかったが、頻繁に会えるわけでもなかったので、大好きなおばあちゃんと旅行にできたのはすごく貴重な経験で楽しかった。

その時に泊まった旅館は、かなり良い部屋だったと記憶している。部屋から海が見渡せて、すごくきれいな女将が挨拶に来て、部屋で船盛かなんかを食べて、その部屋から見た海がすごくキラキラ輝いていたのを覚えている。

ほかにも、兵庫のド田舎から2泊3日とかで富士山まで行ったり、とにかくよく旅行に行っていた。

家族だけではなく、母の高校時代の友人とその子供たちと一緒に沖縄に行ったり、ディズニーランドに行ったりと毎年どこかに出掛けていたし、兄がサッカーが上手かったので、その遠征に家族総出で泊りがけで行ったりとかもしていた。

現在、私には2人の子どもがいるが、彼らは一緒に買い物に行くと、たかだか100円ちょっとのお菓子でも「あ、でもこれ100円超えてる!お母さんダメ?」みたいなことを聞いてくるし、私も何かを買う時に「あ、これちょっと高いな~」みたいなことを普通に言ったりするが、今思うと子どもの頃は私もそんな感覚は全くなかったし、親が「あ、これ高いからあかんわ」みたいなことを言っていた記憶もない。

今振り返ってみても、総合的に考えると本当にあの頃ってお金に困っていなかったんだと思う。

家のような事務所

そして、そのお金持ち時代の象徴ともいえる出来事が、「家のような事務所」を建てたことである。

おそらくバブル景気も相俟って、その頃は父の仕事も軌道に乗っていたのだろう。

最初は自宅の中にある「応接間」と呼ばれる部屋で仕事をしていたはずの父が、私が小学1年生くらいだったと思うが、ある時期から町内に3件ほどしかないマンションのうちの、あるお洒落なマンションの一室に事務所を構えたのだ。

広さにすると2LDKくらいだったと思うが、そこにはパソコンやコピー機、事務机にお客さん用のカウンターなどが並んでおり、完全にそこはただの応接間ではなく「オフィス」だった。

私は週に何日か、自宅ではなくその事務所に帰っていた。1階がレストランになっていて、そこで昼ご飯を食べたりすることもあった。家に帰るまでの間暇だったのでその頃からパソコンで倉庫番とか麻雀とかのゲームをしていた記憶がある(当然ネットなどはまだない)。

母も、私が保育園くらいの頃はたしかクリーニング屋のパートに出ていたと思うが、その頃には父の仕事を手伝うにようになっていた。

そして私が小学2年生くらいになった時のことだったと思う。家の玄関を出て10歩くらいのところに、父の知り合いの工務店の人たちが平屋建ての家を建て始めたのだ。

実際にはその家は父の「事務所」だったわけだが、風呂場がないこと以外、見た目も中身も完全に平屋建ての家だった。その頃にはもう家の前に広がる田畑の区画整理の話が進んでいたのだと思うが、玄関はその区画整理で道がついた時のために変な場所にあった。

そのため、基本的に裏口から入ることになっていたのだが、とにかく気付いたら家のすぐ斜め前にもうひとつ家が建っていたのである。確実に私が今住んでいる家より広くて立派だった。

事務所の中には社長室みたいな父専用の大きな机と、革張りのソファセットがある部屋があって、そこにはテレビがあったので私はよく休みの日はそこでファミコンをしていたのを覚えている。夏休みは母がそこで事務仕事をしていたので、姉も一緒に事務机で夏休みの宿題をしていたりもした。

今思えばあの頃が我が家の「金持ち全盛期」だった。

(つづく)

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