エド&リーのブログ

別居中のアラフォーゴーストライターです。生き様もほぼゴーストです。結論の出ない話多めです。

ペットと畜生【前編】

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昔住んでたマンションの隣の家の屋根にいつも来ていた猫…爆睡

私は今、キセルガイ(カタツムリの仲間・20数匹くらい)と、カブトムシの幼虫19匹を自宅で飼っている。世話は私一人でやっている。

キセルガイについては特に思い入れが強く、ブログを再開した当初は真っ先にキセルガイについて書く予定だったのだが、なんだかかんだで後回しになっている。

そして、実は今、ひとつ「本当は離婚したい人たちへ」シリーズのように連載的な感じで自分の生い立ちについて書きたいことがあるのだが、しっくりくるタイトルがまだ思いつかないので書くタイミングを見計らっているところだ。

edoandlee.com

ということで、今日こそはこの隙を狙ってキセルガイのことを書こうと思っていたのだが、生い立ちの話の構想を考えているうちにあることについて書きたくなったので、今日もまたキセルガイのことは後回しにして、動物、というかペットというものについて書きたいと思う。(キセルガイたちごめんよ…)

お金を出して犬猫を飼うことへの疑問

この発言により、友人・知人を含めかなり多くの人を敵に回してしまうかもしれないことを覚悟で書くが、私は動物、というか厳密には犬と猫なのだが、犬と猫をペットショップでお金を出して飼う(買う)人の考え方がよく理解できないでいる。

なぜ犬猫に限定してなのかというと、他の動物、例えばハムスターやウサギ、鳥類、熱帯魚系は「野良」的なシチュエーションや「里親募集」でもやや出会える場面が少なく(なくはないが)、ペットショップ経由でないと飼うことが難しいからだ。

もちろん実際に友人や親戚など、お金を出して飼っている犬猫を見ればかわいいとは思うし、その人が飼ってなかったらその犬猫たちは殺処分されていたかもしれないため、可愛がっている人のことを責めるつもりはない。

ただ、「無料で飼い主を待つ犬猫がいる中、なぜわざわざお金を出して買った(飼った)のか?」という疑問は正直昔からずっと持っていて、本当は問いたいけど、そんなことを聞いたら120%ウザがられると思うし、そんなのその人の勝手と言われたらそこまでの話なので聞かないことにしている。

そして、そもそも「ペットとして生き物を人間が支配することがそもそも人間のエゴだよね?そもそも飼うことがいけないよね?」と言われてもそこまでなのだが、申し訳ないが今日はそこまで深く掘り下げずに書きたいと思う。

幼少期の田舎におけるペットの扱い

後日連載的に書く話にも少し出てくるかもしれないが、私の実家は兵庫県のド田舎にあり、昔はムツゴロウさん家的な感じで犬と猫、鳥、金魚など色々な生き物を飼っていた。

今でこそ見かけることは少ないが、私が子供の頃は野良犬・野良猫なんてそこらじゅうにいて、家で飼っていた犬猫については、父が毎回どこかから連れて帰ってきていた(鳥や金魚はお金を出して飼ったんだと思う)。

なので、そもそも昔の田舎は犬猫なんて基本的にはその辺からもらってきたり拾ってきた雑種というのが普通で、当時流行っていたコリー犬やシーズー、シャム猫なんかを飼っている人は、一部のお金持ちや子供のいない人など、かなりのマイノリティだった。

当然、当時の田舎におけるペットの扱いも今とは全く異なり、基本小型犬以外の犬は家の外で飼われるのが当然であり、ロープなどではなく金属の重い鎖につながれていた。

雪が積もる日も家の中に入れることなんてないし、エサもドッグフードと残飯を1日1回あげるとか、そんなもんだった(エサの酷さについてはうちだけかもしれない)。

猫についても、家の中には入れるものの、家と外への出入りは24時間自由で、猫が勝手に玄関の引き戸を開けて出たり入ったりとかもしていたし、2週間くらい行方不明になったと思ったらある日ガリガリのボロボロになって帰ってくるなんてことも珍しくなかった。近所の人から「あそこの家の納屋で見た」とか言われて探しに行ったりしたこともあったし、自分家の猫が知らない猫を連れて家に帰って来ることなどもあった。

子猫を3匹同時に父が拾ってきて育てていたこともあったが、わりと早い段階で庭の隅で野良犬に食われた無残な姿で見つかったこともあったし、飼い猫が飼っていた鳥を食べてしまうという悲劇もあった。

そのような経験もあり、私にとって犬や猫は必ずしも「かわいい」だけの存在でもなければ、ましてや「家族の一員」でもなかった。あくまでも家で飼育している「生き物」「動物」である。

今でこそ世間一般では「ペットは家族」という感覚が根付いているようだが、私にとってペットとは今でも「家族」ではなく、「畜生(仏教的な意味は含まない)」的存在、つまり「人間以外の動物」という存在である。あくまでもペットはペットであり、人間と横並びにはならないし、当然子どもなどとも横並びの関係にはならない。

もちろんかわいいとは思うが、繰り返し言うが、「人間と同等の家族」であるとは思えないのだ。

ハッチのこと

そして、私が幼少期の頃は、今ほど動物の避妊手術なども皆やっていなかった。というか、そもそも動物病院の数も圧倒的に少なかった。

で、私が生まれる前にはジュリー(完全に沢田研二からとっている)という犬がいたらしいが、私の記憶では3歳くらいの時にはドム(完全にガンダムからとっている)というめちゃくちゃでかい犬がいて、ドムはたしか寒い冬の朝に近所の道路で車にひかれて死んでいるのを近所に住むおじいちゃんか誰かが見つけて、家の一輪車(農業用の方)に乗せて運んで連れて帰ってきて、庭の隅の空いている場所に穴を掘って埋めた。

そしてほどなくしてわが家では、市役所の駐車場かどこかでやっていた「里親探し」のイベントで見つけた、「ハッチ」というビーグルの血が入ったたれ耳のメスの雑種を飼うことになった。たしか連れて帰る時に車の後部座席で吐いたかおしっこだかしていた記憶がある。

名前の由来は、私の旧姓の苗字に「八」がつくので、おそらくそこから来ているのだと思う(これは今になってようやく気付いた)。

なお、「ハッチ」はビーグルっぽい姿ではあるがやっぱりちょと体型は雑種っぽくて脚が長く、ガリガリで、すごく頭の良い犬だった。結局15年くらい生きた。

ところで私の実家は、私が小学校低学年くらいまではそこそこ裕福で、しかもド田舎なので家のまわりの敷地面積もその辺の公園なんか軽く超えるくらい広く、一応生垣みたいなのとか大きな木とかで家の周りは囲まれていたが、野良犬なんてその辺から入り放題だった。

そして、当然当時は田舎方式で犬を外飼いしていたので、ある日散歩に出かけると「なんかハッチのお腹大きくない…?」みたいな感じで異変に気付き、そこからあっという間に仔犬が産まれるという展開になるのだった。

さらに、なぜかハッチは「8」という数字の因縁でもあったのか、15年ほどの生涯の中で、8匹の仔犬を3回産み、最後、かなりおばあちゃんになってからも、最後っ屁のように(すみません他にいい表現が浮かびませんでした)に1匹、合計25匹の仔犬を産んだ。

最後の1匹については1匹だけなので手厚く育てた末、兄の知り合いの家かどこかに引き取ってもらった記憶があるが、問題はそれまでに生まれた8匹×3回の24匹の仔犬たちの世話である。

さすがに一度に8匹も生まれると、全ての仔犬の子育てをガリガリのハッチに任せるわけにはいかず、ミルクしか飲めず目も見えていないような時期は、私たち家族は毎日ハッチの小屋から仔犬を脱衣かごみたいなのにまとめて入れて家の中へと運び、ミルクを作って哺乳瓶で飲ませたりしていた。

特にガリガリのハッチから生まれた仔犬たちなので、基本的にどの犬も小さめだし、中には「こぶりちゃん」というあだ名の、明らかに他のより小さくて死にそうな犬もいた。なんだかんだでほぼ皆元気に育ったが、たしか1匹くらいは初期段階で死んだ犬もいたと思う。

仔犬が少し大きくなってきて、朝ハッチのいる小屋(仔犬が出てきてしまうのでその時期は父手作りの柵で小屋の周りを囲む)の柵を開けると一気に仔犬たちが出走馬のように飛び出してきて、当時の家の広い庭を皆楽しそうに駆け回るのだった。

その微笑ましい光景は今でも私の記憶に強く残っている。

動物が子供を産むということ、目の見えない状態から仔犬を育てたこと、仔犬たちの日々の成長など、今となっては幼少期に非常に貴重な体験をしたのだと思うが、ただ、貴重な体験はそのような美しく楽しいものだけではなかった。(つづく)

(1回で終わらせるつもりがまた長くなってしまいました…明日の後編で終わります)

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