エド&リーのブログ

ライター&別居中ほぼシングルマザーの雑記。Instagram:edoleekikakuもやってます。

療育センターで前向きになれてたのにその日のうちに愚か者になった話

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絶望ってやつと 希望ってやつは

タチが悪いから すぐ入り込めるぜ 

(The Birthday 「stupid」より)

このブログを書き終わる頃には、日付は12月10日になり、ついに連日言っている記事の〆切の日になっているだろう。

記事はまだ書き終わっていない。今夜は徹夜だ。なぜなら私はReal Stupidだから。

本当に絶望と希望ってタチが悪くて、すぐ入り込んでくる。

昨日は午前中、いつも娘がお世話になっている療育センターの勉強会の2回目に行ってきた。

1回目については先月のブログに書いたとおりである。

edoandlee.com

昨日はその勉強会で結構前向きな気分になって帰ってきたのだが、夜になって娘でははなく息子の方に私がブチ切れてしまい、私は思わず息子に手を出してしまった。

別に天国に行ってたわけでもないけど、天国から地獄へ落ちたような気分になった、というか、今なっている。

今日はその「勉強会のこと」と「息子にブチ切れたこと」について書きたいと思う。

療育センターで学んだ「ハードルを下げる」ということ

前回の勉強会では、最後に次の2つの宿題が出ていた。

  1. 【子ども編】と【自分編】でそれぞれ3つずつ「いいところ」「努力しているところ」「困ったところ」を行動ベースで具体的に書いてくる(ただ3つずつと言いつつも書くところが8個ずつあったので、私を含め皆ほとんど埋めてきていた)
  2. 子どもの具体的な行動をほめて、その時の様子を観察する

私は完全に「2」のことを忘れいたため、その場で思い当たることを答えたが、昨日は主に1をベースに「努力しているところ」「困ったところ」の中に「いいところ」がないか探してみる、というワークをやった。

やり方は至ってシンプルで、「普段できていること」「基準は60~70%できていればOK」「スペシャルではなくてOK」という風にハードルを下げて「努力しているところ」「困っているところ」を「いいところ」に格上げして見てみる、というものだ。

例えば娘の場合であれば、「努力しているところ」として、

  • 給食で本来は苦手であるものも食べようとしているところ
  • 「自分でやってみな」と言われたことは自分でやろうとするところ

などが挙げられるが、これらは全くやっていないわけではなく、60~70%はできている。そのため「いいところ」として格上げができる。

また、「困ったところ」についても、「いいところ」まで格上げできることは少なかったが、

  • 家のご飯をあまり食べようとしないところ
  • 体力がなくすぐ「疲れた」と言うところ

などは、一応食べられるものは好きなだけ食べているし、「疲れた」と言っても座り込むわけではなく、最後まで家に歩いて帰ったりはできるので「いいところ」まで格上げすることができた。

「普通じゃない」を捨てる

これらの作業において重要なことは「(できて)当たり前」「普通」という考えをまず捨てる、ということだ。

たしかに私は、今のところ発達に何ら問題はない息子を基準に娘を見ているところがある。だからこそ娘の発達に凸凹があることに気づけた部分もあるが、もう私は既にそのことに気づけているのだから、今さら「(できて)当たり前」「普通」という考え方をしていても仕方がないのである。

もちろんこれまで日々の訓練によって「普通の子」と同じようにできるようになったことも多々あるが、しかし偏食のように「できないものはできない」部分もある。

発達に凸凹がある親が苦しめられるのは、頭ではわかっていても、現実(普通の子)を目の前にすると、その凸凹を受け入れられない部分があるから、余計苦しめられるんだと思った。

1回ワークをやったところですぐに考え方の癖を直せないとは思うが、私にとってこの見つめ直す作業を実際にやったことには大きな学びがあり、少し気持ちが前向きになれた気がした。

その人の持つ性質の傾向を知る

次にやったワークは、「いいところ」「努力しているところ」「困ったところ」のひとつずつをそれぞれ、

  • 対人社会、人付き合いについては「人」
  • 気持ちやストレス対処についてなら「気」
  • 仕事についてなら「仕」
  • 家事についてなら「家」
  • 行動の調整についてなら「行」

といったふうにカテゴリ分けするというものだった。

例えば娘の場合、「いいところ」には、

  • 他人に意地悪をしないところ
  • 我儘を言わないところ
  • わりとすぐに友達ができるところ
  • 素直に言うことをきくところ

などがあるのだが、娘においてはほぼ「いいところ」は「人」だった。つまり、娘は対人関係などにおいては問題がほとんどない「凸」であり、体力面の弱さや、記憶が曖昧、出来ているように見せるなど、行動面においては弱点の多い「凹」な傾向があることがぼんやりと浮かびあがってきた。

私においては、「努力しているところ」などはほとんど「仕」や「家」だったが、「困ったところ」の半分が「気」だった。つまり、私はやはりメンタル面が「凹」なのである。

カテゴリに分けてみることで、こういったその人それぞれの「凸凹」の傾向が知れたということもまた、私にとっては大きな学びになった。

人間関係においては娘はむしろ自信を持ってもいいくらいであり、注力すべきは行動面などであることに気づくことができたので、昨日の勉強会は非常に有意義な時間を過ごせ、また、気持ちの面でも前向きになれたのだった。

希望と絶望はすぐにすり替わる

そんなこんなで前向きになれていたのに、希望はその日のうちに絶望に居場所を奪われてしまった。

うちでは夜寝る少し前、だいたい20時半くらいに子どもたちに明日の準備をさせるのだが、小学校は教科によってはいわゆる「置き勉」をして良いはずなのに、なぜか最近の息子のランドセルはパンパンだった。

娘の持ち物については油断すると忘れ物をすることがあるので、わりとチェックしていたのだが、息子については「普通の子」なので、「なんか置き勉するの忘れて持って帰ってきてるんだろう」くらいに思い、荷物多いな…とは思いつつも特に気に留めていなかった。

しかし、昨日、彼は午前中1時間目から4時間目まで近所の消防署の見学に行くことになっており、午後の2時間も持ち物が少ない教科だった。にも関わらず、朝、ランドセルがパンパンだったのだ。

さすがにおかしいだろと思った私は「なんであんたそんなにランドセルパンパンなの?おかしくない?」と玄関を出る時に聞いたのだが、息子は「いや、でも持っていくものあるから」みたいな感じで家を出て行ってしまったのだった。

そして夜である。明日(今日)は4時間授業で給食だけ食べて帰ってくる上に、4時間のうち2時間は国語で、残りの2時間も教科書の必要がない授業であるにも関わらず、息子のランドセルはまたパンパンだった。

「絶対にその量はおかしいやろ…」とさすがに黙っていられなくなった私は、「なんでそんなに荷物多いん?ちょっと一回ランドセルの中全部出してみな!」と言って、息子にランドセルの中身を出させ、全てを並べさせた。

ブチ切れ、そして叩いてしまう

すると、明日(今日)は算数がないにも関わらず、算数(下)のセット一式が入っている上に、既に終わっている算数の教科書(上)、使い切った算数のノート、最後まで解き終わったドリル(上)が出てきた。

息子は「算数は急に授業が変わることがあるから先生が持って来るように言っていた」と言うので、「絶対やな?じゃあ今度の個人面談で先生に聞くからな」と言って好きにさせたが、問題は算数(上)の一式である。

「これなんでいるん?なんでもう(下)やってるのにいるん?もういらんのと違うん?ドリル終わってるのにまだ使うん?」

息子はしばらく沈黙していたが、泣きそうな顔で「もう全部使わないやつ…」と言った。私は思わず息子の頭を叩いた。

「なんでこんなことになるん?あんたもう3年生やで。何してんの?」

そしてさらに自由帳3冊、いつのかわからないテストや絵を描いた紙類も出てきたので、「これなんで自由帳3冊もあるん?2冊は使い終わってるやつちゃうん?使い終わってるけどまだなんかに必要なん?」とまた私は息子に聞いた。

すると息子はまた涙目で「もうこの2冊使わないやつ…。このプリントとかも…」と言った。私はその自由帳とプリントの束でまた息子を叩いた。

「あんたさぁ…使い終わってんのにずっとそのまま入れて、次の日いるやつだけ上から入れてたんやろ。お母さんあんたが1年生の時から準備する時は一回ランドセルの中身全部出してからいるものだけ入れるようにしなって言うてたよな?何してんの?」

そして何も言えずに立ちすくむ息子。

要はランドセルに入っていたもののうち半分はいらないものだったのだ。

最後に私は息子の頬を叩いた。そして息子に「誰も見てないからっていい加減なことすんな!使わんやつはここ(使ってないやつを入れてるところ)に入れとけばええやろ。わかった?」と言って叱り飛ばした。

愚かな母親

手を出すのはよくないのはわかっている。激昂していたわけでもなかったのに、手が出てしまった。3回ともいわゆる「どつく」程度ではあるが、見る人が見たら、というか、現代の一般的な見解でいうと私は虐待をしていると言われても仕方ないだろう。

誰かに通報されて、逮捕されても反論のしようがない。ていうか、もし私が逮捕されたら、子どもとはもちろん引き離されるだろうが、私はその後更生施設などで教育を受けさせてもらえるのだろうか?

「そりゃあお父さんは怒らんし、一緒に暮らしてないからこんなんも気づかんわ。こうやって怒られるのが嫌でお父さんと暮らしたかったらお母さんが出て行くから別にあんたら3人でこの家で暮らしてもええんやで。好きにしたらええんやで」

私は本心で息子にそう言ったが、息子は泣きながら「そんなの嫌だ!」と言っていた。娘は毎度のことながら黙っていた。

私はこういう時、夫(仮)に黙っていて後で息子や娘が「お母さんにキレられた」みたいなことを言われるのが嫌なので、怒った時や、稀ではあるが今回のように叩いてしまったりした時は夫(仮)に「こういうことがありました。以上です」みたいな感じで報告をしている。

今回の件については夫(仮)は「俺もあいつのランドセルパンパンなのはちょっと気になってたから、これからはうちでも気をつけて見るわ」と言っていたが、実質そんな気をつけて見ることなんて彼にはほぼないし、毎回そんな調子の返信なので、結局私が日々注意していくしかないのだ。

結局何が言いたいかというと、私は愚かな母親だ。

良き母になろうとしても、すぐに些細なことで寛容ではない元の自分に戻ってしまう。

夫(仮)はもともと楽天的だし色々抜けている人なので私のように怒ったりもほとんどしない。子どもたちは本当にこんな私のもとで育てて良いのだろうかとよく思う。

今日少しは良き母になれそうな気がしたのに、やっぱり無理だった。

こんなことばかりだ。

私は愚かな母親だ。

(めちゃくちゃ長くなってしまいました。ごめんなさい)

Stupid

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